「きしころ」の歴史に新事実! 実は○○から食べられていた!?
「香露」?「ころっと丸い」? 由来は諸説あり
「ころ」は冷たいつゆをかけたうどんやきしめんを指す名古屋特有の呼び方。主に暑い時期に好んで食される、季節の風物詩的な麺類です。
「ころうどん」「うどんころ」「ころきしめん」「きしころ」など、呼び方は様々です。もともとメニュー名というよりも食べ方を指し、「きしめん、ころにしてちょう(ころにしてください)」などと注文します。
ユニークな呼び方の由来には諸説あります。
ひとつは「香露」説。冷たくても香りが立つ露=「香露(こうろ)」が縮んで「ころ」になったとする説です。これは戦時中の疎開で名古屋から岐阜県多治見市に移った「信濃屋」が唱えるもの。「信濃屋」は古い長屋を活かした店舗で、メニューはころうどんと温かいうどん、支那そばのみ。うどんはふわりと柔らかくもコシがあり、この唯一無二のおいしさも、ご主人の主張の説得力を高めています。
一方、名古屋のうどん屋に尋ねると、ルーツは公設市場にありとの声が主流です。かつて市内各所にあった公設市場には、決まって食堂併設の製麺屋がありました。そこでは、店頭に丸めたゆで麺を並べて販売していて、これを丼に移してつゆをぶっかけ、イートインのお客に提供していました。この時、手早くかき込みたいお客にはつゆを温めずにかけ、自分たちのまかないでも同様の食べ方をしていました。麺の玉が丸くてころっとしているから、または丼にころっと転がすように放り込むから、はたまた即・食べ頃(=ころ)だから。名前の由来については聞く人によっていくつもの理由が挙がってきますが、品のいい「香露」説に対して、「公設市場」説は飾らない大衆的なムードが伝わってきます。
昭和30年代のエッセイにきしころが!

『あじ・くりげ』第15号の表紙。同誌は名古屋タイムズ社内・東海志にせの会による食の随筆集で、1956~2016年まで通算693巻が発行された。資料協力/文化のみち二葉館
そんな諸説がある中、貴重な文献を見つけました。名古屋のタウン誌の草分け『あじ・くりげ』1957(昭和32)年8月号(通巻15号)に寄稿されたエッセイ、その名も「きしころ」です。そこにはズバリ、こう書かれています。
「『きし』は、ご存じ名古屋名物キシメンのキシであり、また『ころ』とは玉の意、つまりキシメンの玉である」
さらに、提供法についてはこんな説明が。
「『玉』にしておいて来客を待つわけである。(中略)湯を通さず、そのまま丼に盛り、削り節、油揚げ、青菜、そして汁をかけて供する。(中略)夏場になると、麺類も、普通の湯通しでは・・・というので『ころ』の愛好者が増える」
それが公設市場なのか街中のうどん屋なのかは言及されていませんが、名前の由来や食べ方については、公設市場発祥の説と概ね共通します。麺やつゆを冷やして、という記述もなく、これも公設市場出身の関係者からしばしば耳にする「ころは本来、ぬるいもの」という証言とも合致します。
きしころ愛好者は物好き(?)
名前の由来と合わせて重要なのは、エッセイに記されたエピソードの時期です。「『きしころ』の大変な愛好者」として紹介されている人物は「ビルマに派遣された時も、いつも『きしころ』に郷愁を感じつづけた」「津(三重県)に勤務していた時は、近鉄で飛んで帰り、好物の『きしころ』を平らげて元気を回復していた」とあり、すなわち太平洋戦争の出征軍人が、戦前から名古屋できしころを好んで食べていたというのです。

『あじ・くりげ』1957年8月号に寄稿されたエッセイ「きしころ」。きしころを愛して止まない友人の偏愛ぶりを通して、きしころとはどんなものかを紹介している。資料協力/文化のみち二葉館
またエッセイでは、麺類はうでたて(ゆでたて)が一番うまいのに、ゆでおきでちょっと粘りが出てきた麺をあえて好むのはちょっと物好き・・・よくいえばかなりのツウである、というニュアンスで、くだんの「きしころ」愛好者が紹介されています。
寄稿者は松村静雄氏。同誌の編集部があった名古屋タイムズ社の主筆を務めていた人物です。『あじ・くりげ』の執筆陣は名古屋の文化人、知識人らが中心で、名古屋の夕刊紙で健筆を振るっていた氏のエッセイだけに、内容の信ぴょう性は高いと推察されます。
もちろんこの一編だけで、きしころの由来はこれだ!と断定できるものではありませんが、少なくとも戦前から名古屋に熱心な愛好家がいたことは確か。麺好きの中でもちょっとマニアックなファンが多いきしころですが、古くから筋金入りのツウ好みの一杯だったと思えば、季節を問わず堂々とすすれるんじゃないでしょうか。
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